表現と罪の彼岸

※当ブログの内容は一個人による意見・見解です。情報の正確性を保証するものではありませんので、ご了承ください。

先日、大手カメラメーカーの新製品プロモーション動画がバッシングを受けて削除されるという騒動が起きました。
原因となったのは、その製品を使ったカメラマンの“撮り方”です。歩行者に近づいて、明らかに嫌がっている人を間近から撮るというスタイルに批判が集まり、「肖像権侵害なのでは」という声があがりました。

この騒動を受けて、多くの有識者/カメラマンが見解を述べたり、肖像権について解説した過去の雑誌・WEB記事に注目が集まりました。
個人的に熟読したのは以下。

元刑事が語る「写真愛好家」と「盗撮犯」の違いとは?(アサヒカメラ)
盗撮、肖像権、プライバシー権… いまさら聞けないスナップ撮影の「落とし穴」(アサヒカメラ)
肖像権処理ガイドライン案(デジタルアーカイブ学会)

わたしもスナップ写真は撮るのですが、肖像権の問題は常に考えています。

そもそも“肖像権”は著作権のように明文化されているのではなく、判例で認められているものです。
ある判例では「被撮影者の人格的利益の侵害が社会生活上の受忍の限度を超えるかどうか」が判断基準とされました(参照:最判平成17年11月10日民集第59巻9号2428頁)。
スマホが普及し誰もが高性能なカメラを所有している現代では、誰かの写真に写ってしまうこと/道行く人を写してしまうことは往々にしてあります。
ただ、それらの写真すべてが肖像権侵害になるのではなく、受忍できる…つまり我慢できる限度を超えてしまうとアウト、ということになります。

“我慢できる限度”は人それぞれですし、正直、曖昧な基準だと思います。
以前にも肖像権について深く考える機会があり、関連書籍を読んだことがありました。しかしその本に書いてある考え方も「見ていいものは撮っていい」など、撮り手のモラルに委ねるような見解で、求めている答えは得られませんでした。

被写体の素の表情を撮るという「表現」と、肖像権侵害/盗撮という「罪」。
写真においてその線引きは難しく、“一般論としての答えはない”というのが調べ考えた末にわたしが出した結論です。
それならば、自分の中でルールを作り、時代の流れに合わせてアップデートしていこうと考えるようになりました。ある種の悟りです。

ベネチアでゴンドラに乗っているときに撮った写真。船頭さんはカメラを向けると必ずキメ顔をしてくれました。

自分が撮影時に気を付けていることは以下の通り。
■嫌がる人を撮らない
■目立つように撮る(撮ってますアピール)
■たとえ見知らぬ人でも、よい表情を切り取るよう善処する
(■必要でなければ、なるべく人は写さない)
要するに「自分がされて嫌なことは他人にしない」ということです。

私自身、スナップ写真に写り込むのはあまり好きではありません。
“半目界の重鎮”と自称するほど半目になる確率が高いので、万が一ヘンな顔になっていたら恥ずかしいなと…。
スナップ写真を撮っている方がいたら、わかりやすく避けます(苦笑)。
自分が撮影するときも、カメラを気にしている様子の人がいたら、カメラを下ろすなどして「撮ってません」というアピールをします。
そういった意味で一眼レフは“大きくて目立つ”“シャッター音がする”といった特徴があり、撮影するときは目立つので、自分のような考え方のスナップ写真撮影に向いているカメラです。

スナップ写真の面白さは、風景と人が交わることでその一枚に物語が生まれるところだと思っています。
そのため、純粋に風景やモノを撮りたいときなど、被写体にしたいものが人物ではない場合はなるべく人を写さないようにしています。
偶然人が入ることで写真が意図したものとは違う意味を帯びるという面白味もあるので、一概にこのスタンスがよいとはいえないのですが、基本はそのようにしています。

以前、掲載した写真。撮影時は暗くて人の反応(嫌がっていたかどうか)がわからなかったので、顔はぼかしています。

肖像権対策として、顔をぼかすという方法があります。
ただ、加工すればよいというわけでもなく…。
昔、カメラ教室でわたしの写真を撮った方が、顔をぼかしてその写真をインターネット上に掲載していました。
その写真には「この人は全然できていなかった」的な文章が添えられていたのです(できないから教室に来ているのに!)。
写真自体はモザイクなしでも構わなかったのですが、嫌な気持ちになってしまったのは言うまでもありません。
写真に付随する文章も含めて、ひとつの表現なのだと感じた出来事でした。

シルエットで人物を入れるのも好きです。

写真に限った話ではありませんが、表現活動を行っている方にはいろいろな考え方を持った人がいます。
すべてに規制をかけてしまうと、表現の可能性がつぶれてしまう。それはその通りだと思います。
でも、人に嫌な気持ちをさせて表情を引き出してもいい写真にはならないというのが、わたしの考えです。
また、撮影後の公開の仕方まできちんと考えなければいけないなと、近頃は考えるようになりました。

今回の件は、改めてスナップ写真について考えるきっかけを与えてくれました。
バッシングを受けたメーカーは、色味がよく、レトロでデザインの良いカメラをラインナップしていてファンも多いので、今後も素敵なカメラをたくさん作り出してほしいです。

ちなみに、フィリピンではカメラを構えていると笑顔を向けてくれる方が多いです。

道路を撮っていたら、トラックの運転手さんが手を振ってくれました。

左側の人(後ろを走っている人)にご注目。

人は写さないつもりが、むしろフレームインしてきてくれました。

本日の一枚もまた、スナップ写真のひとつ。スローシャッターは表現としても面白く、顔が写らないので肖像権対策にもなります。

余談

今回の記事タイトルは、『相棒』という刑事モノのテレビドラマにインスパイアされています。
全シーズン欠かさず見るくらい好きなのですが、先日作中で“善悪の彼岸”という言葉が出ました。
ネタバレしない程度に説明すると、主人公の宿敵に対して、ある人物が「彼は善悪の彼岸にいる」と表現し、これがキーワードとなるのです。

元警察官で主人公の盟友(善)でありながら、殺人教唆を繰り返す宿敵(悪)。
主人公との対決を最後まで見てこの言葉の意味を理解すると、思わず唸ってしまいます。ぜひシーズン16の7話、シーズン17の17話、シーズン18の14・15話をご覧ください。

余談その2

リンクを貼った参考記事でコメンテーターとして登場している小川泰平さんの書籍『現場刑事の掟』は、刑事ドラマ好きの方におすすめです。興味があればご一読ください。

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