イマジナリー彼氏

幼少期の記憶は、思わぬ形で呼び覚まされる。
 
30代半ばともなると、脳内の引き出しの滑りが悪くなって、ほとんどの思い出は仕舞いっぱなしのままだ。
でも、ふとしたことが呼び水となり、記憶が浮かび上がることがある。

それは、吉澤嘉代子さんの「幽霊」という曲を聞いていたときに起きた。
イマジナリーフレンドについて描いたこの曲の、爽快なサウンドと美しい言葉に酔いしれていると、ふと脳内に映像が流れてきた。

そう、わたしには“イマジナリー彼氏”がいたのだ。

時は30年以上前に遡る。
妄想にふけることを日課としていた幼稚園児のわたしは、正義の使者になったり魔法使いになったりと、毎日忙しかった(今でも、宝くじを買うたびに皮算用をするのは、きっとそのせい)。

数々の冒険の中で出会ったのが、その“彼氏”だ。
彼はどこかの国の王子様だった。
記憶に靄がかかり、背格好や顔は覚えていないが、とにかく優しくて、いつも後光が差していた気がする。

自分がそんな妄想をしていた園児だったなんて、考えるだけで赤面する。ただ、想像するだけなら自由だし、可愛らしいエピソードと言えるだろう。

問題は、彼の存在を母に話してしまっていたことだ。

王子様とデートしたこと、手を差し伸べてエスコートしてくれたこと、いつか遠い国から自分を迎えに来てくれること。
幼稚園からの帰り道、そんな話を嬉々として語っていた。

不思議なことに、話をしたシチュエーションまで鮮明に思い出せる。
当時暮らしていた、赤い屋根の古い一軒家。
数段の段差をのぼると、門へと続く飛び石の細い道がある。柵越しに見えるのは、庭と犬小屋。雑草が生い茂って、緑の濃い匂いが立ち込めている。
狭い歩幅で石を一個一個踏みしめながら、手を繋いだ母に、王子とのランデブーについて話す。庭で飼っていた大型犬も話を聞いていたように思ったが、それはたぶん気のせい。
その後、あの家は建て直してしまったので、今はもうなくなってしまった。

幼稚園の頃の記憶なんて、同級生に意地悪された昼休みや、お泊り会が苦痛で泣きながら眠った夜とか、そういった苦いものしか手元に残っていない。好きな子にラブレターを渡したら、なぜかライバルの女子に「○○くんはこれ要らないって!」と突き返されたこともあった。
そんな数少ないラインナップに、“イマジナリー彼氏の話を母にした思い出”が加わったのだ。

母の目に、当時のわたしはどう映っていたのだろう。
ませた娘と思ったのか、現実と虚構の境が曖昧な我が子の将来を案じていたのか。
確かなのは、母がにこやかにその話を聞いていたこと。
この出来事をもし母が覚えていたら恥ずかしいし、忘れていたらそれはそれで少し寂しい。だから、聞けないままでいる。

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