遠回りの耳
自他ともに認める、ひねくれ者だ。どうして素直になれないのだろうと反省することも多々あるが、35年かけてついた性格の錆はなかなか取れるものではない。
そんなことを考えながら、Instagramで錆びたコインをピカピカに磨き上げる動画を見ていた。リール動画やTwitterのおすすめ投稿を眺め続け、気が付けば1~2時間経っていることがよくある。人生で最も虚しい時間の使い方だと自覚しているが、たびたび時を空費してしまう。
それでも、まれに役立つライフハックを得ることもある。過日、SNSの海を漂っていると「耳鼻科で耳掃除をしてもらえる」という情報に出会った。
耳掃除をしたあとの爽快感が好きだ。本来なら頻繁にやりたいのだが、「やりすぎは耳によくない」と親に言われてから、ほどほどの頻度で行うよう自重している。しかも、どこかで「自分で掃除すると逆にゴミが奥に押し込まれていく」という話を聞き、耳の奥がとんでもないことになっているのでは?と不安になった。一度不安になると、日ごとに耳が遠くなっている気がしてくる。
さっそく、近所の耳鼻科に足を運んだ。「本日はどうしましたか?」と先生に聞かれたそのとき、胸の奥から滾々と“羞恥心”が湧き上がり、顔を熱くした。掃除のためだけにクリニックを訪れたことが、急に恥ずかしくなったのだ。「耳掃除をしてほしいのです」――たった一言が言えなくて。
そこで「耳が聞こえにくくなっている」と、ぼんやりした不調を伝えた。会話を誘導し、良きタイミングで先生に「耳を掃除すれば改善するかも」と伝える算段だ。しかし、穏やかでやさしそうな先生は、こちらの目論見を華麗にかわし、「聴力検査をしましょう」と即決した。
一瞬で終わるはずの受診は、30分以上に及んだ。時間は大した問題ではないのだが、とにかくずっと気まずい。はじめに、素直にスッと一言「掃除してほしい」と言えばよかったのに。
こうして、お馴染みの方法で聴力を測った。ヘッドホンをつけ、音が聞こえたらボタンを押す。あの検査だ。
結果が出て、再び診察室に入ると、目の前に「同世代の一般的な聴力」と「あなたの聴力」を比較したグラフが大きく映し出された。素人目でもわかるくらい元気そうな折れ線グラフが、わたしの聴力らしい。「異常はありません。むしろ同世代の方に比べると、耳は良いほうですね」と診断された。「しばらく様子見して、また何かあればいらしてください。あ、あまり汚れていませんが、一応耳もきれいにしましょう」と、ピンセットでゴミをつまみ出され、診察は終了。
単純なもので、その日から耳が遠い感覚はピタリとなくなった。
大掛かりな耳鼻科訪問となってしまったが、耳の良さについてお墨付きをもらったのはなんだかうれしい。素直にそう思えた。


